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なつかしい話

 過日、かつて勤めていた高校の現在の書道教諭から、倉庫を整理していたら先生の作品が出て来ましたけどお送りしましょうか、という電話があった。

 即座に「お願いします」といったものの、送られて来た2点の半切額作品を見て正直がっかりしてしまった。多分20代のもので、学校の文化祭かに出したものだと思うが、こんなに下手だったのか、いやそれより「気」がはいっていないことに日を覆いたくなった。いくら昔の作品でももう少しましなものを期待していたのだが、その先生にお礼をいうのさえ忘れるくらいがっかりした。
 すぐ表具屋さんにいって処分してもらったが、今考えると恥ずかしい記念品として残しておいてもよかったか、と。
 昭和30年代後半の頃は越前和紙をよく使っていた。にじみが少ない紙なのに中途半端な淡墨。羊毛。まるで線が浅い。当時は淡墨全盛時代とはいえちょっとひどい。
 「どんな小さな作品でも気を抜かないように」など偉そうなことをいったのは、つい昨年末のわが璞社書展の私の挨拶だった。わが身を振り返り後悔しきりである。

 もうひとつ過日のこと。かつてうちの門下であった同年くらいの人が亡くなられて、その奥さんからの電話。「先生の折手本が段ボール1箱分くらいあるんです。貰ってもらえませんか。本もかなりあるんですけど、よかったらそれも--」。私は即座に「ありがとうございます」と返事をした。
 折手本は36冊あった。私は末尾に必ず年月を書くことにしているので、それが退職前後(昭和57年退職)、前述の「作品」より20年はど後のものであることがわかる。

 これはすべて臨書。だからでもあるまいが、上手下手以前にどれもこれも皆気が乗っている。乗りすぎてやや品が落ちるが、これは当時の心境をあらわす書風として大事に保存させてもらうことにした。一番新しい日付けが昭和60年12月。米芾の「蘭亭集序跋」。表紙も途中で紙から布にかわっている。今使っている折帖より造かに小さいサイズだが、字が溢れている、踊っている。
 約半分が槽書。原帖はいろいろあって17種。当時は月3回の稽古で、その都度書体に関係なく半紙2枚分の手本を書いていた。まだ1冊1冊丁寧に見たわけではないが、よい意味でも悪い意味でも自信に満ちあふれている。なつかしい話である。

江口大象 (2012年4月号より)

 
   

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