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四歳画家の個展

 過日4歳の女の子が天才画家と騒ぎ立てられて大々的に個展を開いていた。すでに数点は売約済みだという。
 日本ではない。どこかの外国である。楽しそうに飛びはねるようにして描いている場面もあり、なかなかの色感とセンスを持ち合わせていると見た。多分優秀な子供だろうと思う。

 ところで、叶わぬことながら、この女の子の20年、いや40年後を見たいと切に思う。基礎のできていない人、センスだけの人がその後どう発展するのか、である。4歳ではデッサンも何もあるまい。大人でもいきなりデッサン抜きで描き始める人がいる。音楽ではそれがない。ピアノを前にしていきなり音感だけで弾ける人はいない。たとえ4歳であっても、である。そこには血のにじむような基礎学習のための努力が必要になる。

 書は絵以上に、案外基礎なし、センスだけ度胸だけで書ける分野である。かつて子供の字を真似て面白い作品をつぎつぎに書いた人がいた。それは基礎のある人が、子供の字の「自由さ」を見て「稚拙の美」を大人の目として表現しようとするから面白いのであって、それを書いた子供自身はなんの芸術性も持ち合わせていない。
 数年前わざと左手で書いた子供の書作品を高く評価したテレビ局のことを思い出した。あの男の子はその後どうなったのだろう。
 この男の子は今、書とは何の関わりのない普通の青年になっているだろうことを断言したい。書はそれではどうにもならないからで、絵の方はちょっと微妙である。

 あの抜群のデッサンカをピカソは晩年にどう活かしたのか、書家でいえば上田桑鳩、宇野雪村の若いときのものすごいとしかいいようのない細楷の臨書その他が、時代の風を受けて最終的にあそこまで変貌する必然性。ピカソの時代はカメラの出現とのかね合いで、浅いながらも何とかわかるのだが-。
 しかしわれわれプロは完壁な仕事をしたあとの変貌はどうなろうと至極安心して見ていると思うのだが、素人のなぐり書きや、生半可にしか習っていない人の自信たっぷりなどは認めたくないという気が先に立つ。今の日本の政治家の字は、数人しか見ていないが、上手下手以前に品がない。

 あと10日ほどで 「宇野雪村の美」 を見に行く。じっくり見たい。
 そして、冒頭のあの女の子の大人になってからの姿、は気になりますなあー。

江口 大象 (書源2011年9月号より)

 
   

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