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献書法会

 おそらく多くの観客を前にして書いたであろうと思われる作品が、江戸から明治にかけての書人に散見される。たとえば池大雅の襖の大字や副島蒼海の豪快な大作がそれに当たると思うが、中国ではもっと多くの作品がそういう環境の中で書かれたと思われるのに、落款でそれがわかる程度で常日頃の作風とそれはど大差はない。
 日本人がたまにパフォーマンスを見せるのに対し、中国では日頃から胸を張って書いているのでは、と思ってみたりもしている。

 つい先日の2月8日に大阪天王寺にある「太平寺」で筆供養をしてきた。昨年のこの日は東京で読売書法会の企画委員会があったので、今年はどうかと思っていたが幸いにも1日前にずれたので参加できた。しかしそのお蔭で以前からいわれていた献書法会をする破目になった。破目などといってはいけない。その日は虚空蔵様が祀ってある本堂で揮竜献書をさせていただいたのである。
 太平寺は昭和62年には「筆塚」の文字を書き、平成8年には「観音経」534字を襖8枚に書き、古希個展の際は4曲一双の屏風を寄贈したりしている。いわばおつき合いの長いお寺。
 前日東京にいる時から明日は仏前で書く日だと多少とも気持ちを高ぶらせていた。しかしそれは家で制作するときも、1ヵ月以上前から○月○日は○○展作品制作の日、などと決めてかかる癖が私にはあるので日頃と大差ない。周りに人がいるかいないかの違いだけ。当然教室では門人が見守る中で手本を書いたりするので、見られている中で書くのは慣れているが、作品となると少し違う。とはいいながら今回はそれを奉納することが決まっていたので、私は初めから1枚しか書かないことにしていた。

 いくつか前もって示された文言の中で「古教照心」を選んだ。平たくいえば古の高僧の教えを胸に深くきざみ、日頃の己の行動に照らす、ということだろうか。
 小坂先生は書は密室の中での制作でなければならんと、たとえ家族の人であれ部屋には入れなかったと聞く。手本は門人の前で書くが作品は独りで書かれた。一極集中というか先生はともかく独りで気を高めながら制作に熱中された。
 対して私は性格の違いなのか、見られていることには割合鈍感で、それに関係なく失敗を重ねたり数枚で書き上げたりしている。喰り声をあげたり準備運動がてらに四股をふんだり、そんなことは一切なしでただ静かに-。
 落款に「虚空蔵堂に於いて書す」と書き、大きな印を3ヵ所に鈐印して何事もなく終わる。
 この作三月末の個展に出すことにした。

江口 大象 (書源2011年4月号より)

 
   

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