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手本改造-創作へ

 半紙楷行草の3体手本をこの20年ほど書き続けている。多くの競書雑誌がそうであり、小坂先生もそうだったのでそれを踏襲しているわけだが、考えてみれば楷書と行草書の2体でいいのかもしれない。こういいながら今のところ現状を変える気はない。しかしここでひとつの提案をしてみようかと思う。
 この号を機に、皆さんは常に行草を合体させて作品づくりのコツを会得しましょうという提案である。私は三体手本の関係上行草の区別を仕方なくつけているが、競書出品の際の皆さんは何の束縛もないわけで、自由に作品づくりを楽しんでもらいたいと思っている。

▼とりあえず行書草書の手本を見てそのまま書いてみる。書きながら絶対手本通りに書かないぞ、という決心をする。
▼そして12字変えてみる。
▼変えるときの目安は①嫌な字をみつけて自分の好きな書き易い字にする。②その上で半紙を1点の作品に見立てて、うまく収まりそうな形の字にしてみる。とりあえず私の手本の字を一旦分解して再構築しましょう。
▼「作品にする」ということは、まず余白に気を配ることである。
①まわりのアキ。②字と字のアキ。③行間のアキ。④単純にアキだけでなく、一行目の字の凸凹との関係に細かく気を配る。⑤もちろん落款まで印まで。
▼要するに半紙の中にいかにうまく収めるかということ。決して手本通りではなく-。
▼さてもう一歩進めよう。私の手本を全く無視することにはじまり、ハナから字典を見て「創作」に挑戦する人もあってよいかと思う。
▼何か好きな古典を見つけて勉強するもよし、その古典をしばらくして嫌になるのもよし。
▼もう古典は随分やって来た、これからは○○だけで結構だ、といってある段階で数ある古典のほとんどを放棄するのもよい。
▼でもやはり我流はダメ。古典を長い間やって来た痕跡が垣間見える堂々たる本格の書、そうでない我流の書は「逃げ」と思われても仕方がない。
▼だれしも「個性の塊」なので、放っておいても我流になるのであるが、古典の呪縛から解放するのをいつの段階にするのかは、はっきりいって勝手である。
▼一流の書家でもそれはまちまちで、亡くなる直前まで「古典」 に自分を縛りつけていた人は一人や二人ではない。
▼何の古典をやっても、創作をやっても、また迫力、根性、センスがあっても「品格」がなければ-。
▼「品格」は心掛けで突然出るものではないが「品格」に目ざめることは一目でも早い方がよい。どんなに巧くてもそれがなければ書かない方がましなくらいである。
▼この間題むずかしいですね。友人に聞いても先生に聞いても、本当のところはいってもらえないし、又正直にいう人も昔はともかく今はいない。専ら自己判断。
▼唯一の判断材料は、書道史に残る数々の名蹟(この中にも品の上下はある)、比較するならこの辺。
▼右のことを考えながら集字したり創作に励んだり-。ああ又失敗、又失敗とつぶやきながら飽かず書き重ねるならば、実力がつくこと疑いなしでしょう。
▼いつまでも手本とにらめっこしないこと。完璧な手本はありません。
▼そして最後に 「目標は高く」。

江口 大象 (書源2011年3月号より)

 
   

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