投稿日: 2024-07-23
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川﨑 大開(2024年8号)
令和6年4月、元横綱曙太郎氏が心不全のため逝去された。54歳だった。心からご冥福を祈りたい。
曙は外国人力士として初めて横綱まで上り詰め、第64代横綱として11回の優勝という輝かしい実績を残した。現在でこそ当たり前に外国人が相撲界で活躍し、横綱まで昇進する力士も多く出ているが、彼の時代は外国人が横綱になるには大きなハンディがあった。しかしそうした偏見を跳ね返すだけの努力と礼儀正しく謙虚な態度は「日本人以上に日本人らしい」と評された。
曙が相撲界で活躍した時代は“若貴兄弟”の人気が最高潮の時である。兄弟の一挙手一投足が注目され、兄弟愛溢れる言動に、ちょっとしたしぐさに国民が沸いた。曙と“若貴兄弟”は同期入門。先に兄弟が番付表を上げていったが、横綱になったのは曙が先であり、長身を生かした突き押し相撲は圧巻であった。しかし2mを超す長身といかつい容姿のため、また若貴人気が突出していたため、更には外国人初の横綱を張ったことなどから、悪役的な位置に置かれることが多かったように思う。だが実際には、部屋や一門の別なく下位の若手に対し積極的に稽古をつける第一人者としての責務を真面目に果たし、親方衆や力士からの信頼も厚かったという。
そんな曙は引退後、異なるジャンルでの挑戦を求め、新たな舞台で自分の能力を試すことを決意した。格闘技への挑戦の道を選んだのである。キックボクシング、総合格闘技、更にプロレスの世界に身を置いた。戦績だけを見ると、相撲界での活躍ほどの華やかさはないが、格闘家として世界的な注目を浴びた。
格闘技は厳しい世界である。そうした世界での新たな挑戦は自身の限界を超えることで、人間としても格闘家としても大きく成長したことだろう。引退後の彼の成長は努力と忍耐の結実であり、我々にもこうした精神を持ち続ける大切さ、重要性を教えてくれている。
また、多くのファンに支持された。こうしたファンとの交流を大切にし、感謝の気持ちを忘れない彼の行動は、私たちに他人との繋がりを大切にすることで、より豊かな人生を送ることができることを諭してくれているのである。
我々は書の道を一途に歩んでいる途中にある。思うように書けない、うまくなりたいが道遠し、と嘆く日々を送っている。だからこそ、自身の限界を超え、新しい可能性を探求していく勇気を持つべきである。常に向上心を持ち、謙虚な姿勢を保ち、周囲の人々や書友を、また他人にも敬意を払い、感謝の意を示し、交流を大切に生きていけたら人としても成長し続けるだろうし、納得のいく生涯が送れるであろう。住む世界が全く違う偉大な人物であるが、曙の逝去の記事を見てこれからの生き方を考えた。
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