投稿日: 2012-12-24
カテゴリ: 巻頭言(江口大象)
その日も雨であった。私は数10年前のある日、日曜ではなかったと思うある日、学校を欠勤して、朝から晩まで日展出品作品を書いていた。くたくたになり、これで200枚目ぐらいかなと思いつつ、不満の残る最後の作品に印を押そうとしたその時、なぜか猫がスタスタと作品の上を歩いた。妻も子も見ている前で。私はもちろん皆動転してただ猫を見ているだけだった。雨の日、猫が歩いたあとには1本の線になってくっきりと足跡がついていたのである。当然その満足のゆかない作品はあっさりあきらめて、数日後に書いたものと思う。その作品の入落は覚えていない。当時は連続して落ちていたので多分落選だった筈である。
11月5日「書人」11月号が届き、その巻頭言に玄心会理事長の明石聴濤氏が、自身の2回目の日展特選を心からよろこぶ「夢叶う」が載っていた。特選決定からわずか20日目に出版されたよろこびのことばである。決定のその日に書いた原稿なのだろうか、2回目の特選が10年目に訪れたよろこびがひしひしと胸に伝わるいい文章である。
同じ日にうちの川崎大開君が特選を受賞した。4ヵ月はど前から書き始め、詩を決めたのがその1ヵ月後ぐらい。それから何百枚書いただろうか、もう最後のころは「何でおれはこんなことをしているのか」と疑問に思うくらい毎日毎夜書き続けたそうである。「最後は書くのが嫌になりました。〝江口先生に恥をかかせないもの〟とだけを思って書きました」と。
彼は山本大悦君に比べると少々不器用で、誰の字にも似ていない独自の字を書く。それが古典の匂いのする、しかも師風を逐わない作品として高く評価されたのである。
彼は東京に居た1週間の間、ほとんど無口であった。
(特選受賞者は毎年10名。約1万点の中から漢字5名、かな3名、調和体1名、纂刻1名、の計10名。特選を2回取ると無鑑査となり、日展審査員就任の有資格者となる。)
江口大象 (書源2013年1月号より)
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