投稿日: 2012-02-25
カテゴリ: 巻頭言(江口大象)
昨年末、私は「平清盛」を見て直感的にいい字だと思った。この字をいつか巻頭言で褒めようと思っていたが、いつだったか真神巍堂氏と二人っきりでホテルの喫茶室にはいる機会があり、いろいろの話の中でたまたまこのNHKの大河ドラマ「平清盛」の題字のことになった。
「あれダウン症の人ですよ」
あの字はいいですよ、といったものの思わぬ答えであった。
「ダウン症」ですぐ思い浮かぶ人がいる。うちの門下に中堀大照さんという人がいて、その人の息子さんがダウン症の研究家だった。だったと過去形にしたのはすでに亡くなられたからで、東大の医学部を出たあと、小児科医の傍ら遺伝子の研究などをしておられたが、染色体異常の研究をさせてもらえるという話で徳島大学に移り、在籍10数年、志半ばの52歳で逝ってしまわれたとのこと。
今日は1月27日。きのう帰宅して読売の夕刊を見て驚いた。「平清盛」を揮毫した金澤翔子さんが大きく出ているではないか。お母さんはかつて柳田泰雲に師事していた書家らしい。
ダウン症がそうさせるのか正に無心の書、無欲の書。書家はすでにこの辺で降参である。手が不自由なように見えて闊達。筆が立っている。見栄を張っていない。おどけていない。面白さなど微塵も追求していない。
プロの書家がこんな字を褒めてはいけないのかもしれないと思いつつ書いている。しかし書の原点はこの辺にあるのではないか。書家はしっかり古典の研究をしたあとは苦しまずにスッと書けたものの方がいいのではないか。
私は初めダウン症の人の字とは知らずに褒めた。しかしこれは子供の書を褒める次元とは明らかに違う。大人の書を見て書の本質を垣間見た思いがしたのである。
良寛は書家の書を嫌った。彼の懐素「自叙帖」 の臨書などは充分に中国的な匂いのするもの。書こうと思えば書けたのに敢えてあんな字に拘ったと私は見ている。あれは書家の字を忌み嫌う良寛独自の純日本的ないい字である。習おうとは思わないが好きな字である。
後日、北條大璞君からインターネットで金澤翔子さんの動画を見せてもらった。大字の席上揮毫場面ばかりが出てくるためか、「平清盛」とはおよそかけ離れた鈍重な動きであった。もう少し小さな字の揮毫風景を見たい。小さな字は活発な運筆になるのであろうか。
江口大象(書源2012年3月号より)
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