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江口大象講演会 『限りない書の魅力』 3

  • 投稿日: 2011-08-12

  • カテゴリ: 講演会

■ 見られる側

今度は見られる側はどんなふうなところを見てほしいか、何を見てほしいかということを言います。古典研究は皆さん一番初めにやりますね。例えば前衛の人、字じゃない字を書く人でも、初めはきっちり古典を勉強しますね。古典を研究した後、いろいろなほうに発展していくのは、それは勝手です。一般的にいいますと、古典研究の跡を見てほしいというのが展覧会をする側の気持ちです。だから、何をしているかなと思いながら、見るほうは見たらいいんです。筆者個人から言いますと、年々変わっていっているんですよ。年々変わっていっているその跡を見てほしいと思うわけですよ。

次、取り組みの姿勢ですね。これはさっきから言っているように自分は自分の道を今切り開いているんだという取り組み方。それを見せたいですね。要するに、裏から言いますと、いつまでも先生の手本どおりに書いているんじゃないでという感じの見せ方をする。私は、手本を今でも希望者には書いていますけどね。まねて欲しくない小さな震えまでまねする人がいる。あれはいかん。これは先生がたまたま震えたんだと思って欲しいわけですよ。私は、今まで完壁な手本を渡した記憶はないから。手本もらったら完壁と思わんでほしいわけですよ。先生は手本書くのにね。普通2枚です。ここに手本書く先生いっぱいおられると思うんですけども、あれせいぜい2枚ですわね。もし10枚書いたらね、10人から頼まれてごらん、100枚書かんといかん。大変ですよね。それで、私の弟子でもそうですけど、例えば、「一」という字が抜けてたとするでしょう。「抜けてるから書き直してください」と言うんです。私は素直ですから、「書き直してくれ」 と言われると、何も言わずに書き直します。でも、本当は書き直してもらわずに自分で字典をひいていろいろ工夫した方が実力がつくと思う。

「気迫」。気迫は必要です。集中力は絶対要ります。集中力のない字は見られんけど、気迫だけの作品も見られん。だからね、気迫はあってもちょっと胸に秘める。例えば、気迫が10あったとしよう。それを全部出さずに6か7ぐらいにとめる。そういう控え目で気合い十分な作品かどうかの問題です。
次に線。線は大事です。大事というより、線は一番大事です。手本をもらうでしょう。そしたら普通先生の字の形だけを見ます。線を見ない。皆さんにはどうしたらこの線が出るかについて自分で研究して欲しい。形は二の次。この線は筆の角度やスピード、どんな紙で、どんな墨だということを分析する。紙を変えたり筆を変えたりするわけですよ。音楽家で言えば、声。声がだめだったらだめ。それと一緒ですね。書家で線がだめだったらだめやと私は思っています。究極は線です。形じゃないよ、線ですよ。

それから六番目、「墨色」 実を言うと、入門するとまず墨色から教えはじめる人がいます。これ佐賀にはいないと思うんですけども、大阪にはいますね。まず墨色を教える。この墨は、どうしたら出るんだ。そして展覧会見に行ったら、「この墨色いいでしょう」 と言うわけですよ。そりやいいけども墨だけ見なさいというのはおかしい。中国の明、清あたりの字を見てますと、腐った墨で書いたのがいっぱいある。あのころ冷蔵庫なかったからね。腐った墨を捨てて、また新しく磨る時間がない、そういう宿墨で書いた字があります。それでもいい作品はちゃんと歴史に残っています。墨色はね、よければいいけども、悪かったって構わないということです。

次、七番目、センス。センスを第一に言う人がおります。この字はセンスがないとかいって–。センスも大事だけれども、一番ではない。一番はやっばり品格ですね。品格。二番目は何にしましょうかね。たくさんあるんですが、一応基礎。古典の研究の跡、だと思うな。しかし古典研究をいくらしても品の悪い字を書く人がいます。何が品悪いか自分でわかっていないのでしょう。品の話は難しい。結局、品があるかないかについては自分で判断すること以外にないね。自分の今書いている字が品があるかないかというのは、自分で判断せなあかん。人は言ってはくれません。思うていても言わない。先生でも言わない。これは自分で判断すること。どうして判断するかいうたら、ほかの人と比べること。ほかの人と比べてもわからんやったら、それは本人がおかしい。

そして三番目ぐらいに自信ですね。自信があって書いてるかいうこと、おどおどしていないか、しかし堂々と書いて下品というのはいっぱいあるからね、これは難しいですよ。そして、センスはその次ぐらいだ。四番目か五番目ぐらいですね。センスがなかったら、やっぱり何となくやぼくさいからね。
書きながら、ここで字を倒したがいいとか、伸ばしたがいいとか、切ったがいいとか考える瞬間があります。その瞬間、瞬間がやっぱりセンスですね。だから、そういうことを考えながら書いてるな、もう一枚書いたらどう変わるだろうと思わせるような感じの書きぶりがいいわけです。何校書いても印刷機みたいやなというのはだめですね。
中国人の字を見てごらん。石碑は全然別ですけども、手紙類とか条幅作品とかいろいろありますね。あれなどはもう一遍書かせたら全然違うものになるだろうという感じがあるでしょう。あれが中国の書の魅力ですね。裏を返せば、一枚書きだ。

日本人はね、1点書くのに100枚から200枚ぐらい書いてます。私は最近体力がなくなったから書かないんですよ。本音は3枚ぐらいで仕上げたいですね。それはちょっとぐらい欠陥が残りますよ。欠陥が残っても魅力のある作品になる。
ところが、展覧会に出してね、入選か落選かという段階ではだめやで。審査員というのは欠陥を見つけます。いいところを見てくれない。欠陥を減らすのが展覧会出品作品のコツです。しかし本当に、いい作品を書くとなったら、欠陥はちょっとぐらいあっても魅力のあるのがいいと思いますね。
私はぼちぼち、1枚で書こうとは言いませんけどね、何枚目かね。10枚書いたら今日は書き過ぎかなという気がしますね。最近はそう思います。そして展覧会場では、絶対何枚目ということは言わんことにしています。皆さん方に言わずに、あんまり書くと最後の辺は嫌々書いているように見えます。そしてね、欠陥を隠そう、隠そうと思うでしょう。隠そうと思うために、ほかが悪うなる。だからね、もうどんなに書いても入選するというような立場にもしなったら、ちょっとぐらい欠陥があったはうがよろしい。たとえあっても魅力ある作品を出してください。そのほうが私は書道界のためにはいいと思う。

次、用材。これはさっき少し言いました。盗むものはあるかというときに、何が必要かといいますと、用材の分析。どんな筆を使っているか、これは羊毛か剛毛か山馬か。それから紙はどんな紙か。日本製か中国製か台湾製かなどいろいろあります。近ごろは中国製でも日本製に似せた中国製というのがあります。はっきりいえるのは、最近は純日本製という紙はほとんどないということです。どこかでつくっている紙です。私の予想ですけど、だんだん紙の製造は賃金の安い南のほうへと行っていますね。南方のほうに行ったら、多分原料の腐敗が早いから防腐剤の量を増やすでしょう。すると、紙は変わってきますね。昔の紙は置けば置くはどよくなった。例えば、10年物、20年物いうたら大事なものですね。私なんか小坂先生から「ボーナスもろうたら紙を買え」と言われていたんですよ。

それからトロロアオイを知ってますか。あの液体を紙の原料の中に入れて、そして、原料が万遍なく分散するためにいるんですけれども、今はそのトロロアオイのかわりの薬があります。それを入れるもんだから、すぐに万遍なく材料がまざるし、10年間ぐらい乾かしたぐらいの効能があるような薬も入っていますし、いろいろです。だから今の紙は買ってすぐ使えます。昔の紙は何年かせんことには使えなかった。昔は10年後に使う紙を買っておったんです。10年後までは生きてますか。でも、小坂先生はね、八十歳ぐらいになっても10年ぐらい後に使う紙を買われてましたな。あれは偉かった。
しかし、用材はね、あんまりこだわらんでほしい。というのは、例えば、筆は羊毛、剛毛、それから悪い筆などいろいろあるでしょう。どんな材料でも使いこなせる実力を養ってほしい。文句言うたらあかん、本当は。でも、盗もうかと思ったら、この作品はどんな用材かということは分析してほしい。でもそのとおりにせんでもいい。

九番目、完成度。ちょっと厚かましいね、これ。完成していないに決まってるんだから。
完成してると自分で思ってるのは大体ひとりよがり。大体完成してません。だから、第三者の目で確かめる。自分の目を第三者の目に置きかえるというかな。またはちょっと目の効く人に見てもらう。見てもらうのは何かいうたら、品があるかないか、それを見てもらう。うまいか下手かじゃなくて、まず第一に品があるかどうか。下品はいかんよ。

江口大象講演会 『限りない書の魅力』 4 へ続く

(平成22年11月14日 佐賀県文化団体協議会 発足50周年記念 江口大象講演会「限りない書の魅力」より)

 
   

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