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書家の晩年

数年前、近くの法楽寺で「慈雲展」を見た。そこの墓地には小坂先生と向かい合って慈雲の墓がある。僧籍にある人の書は、本人が無欲である限り上手下手とは別に品格は見事に高い。中国南宋禅林の最巨峰圜悟克勤(えんごこくごん)に始まる禅僧や帰化僧、鎌倉に源流を求める日本の数々の名僧。数えあげればきりがないが、禅僧として皆が皆品がいいとはいいがたい。
私は法楽寺の「小坂奇石リーヴスギャラリー」で慈雲としばし対面して、小坂先生の古稀個展以来とみに増えたあの畳に擦るような渇筆の原点はやはりここだと確信している。

書家は技術を隠すことはできても捨てることはできない。無理に捨てようとするのは間違いで、無理にやれば格調はガクンと落ちる。だから技術に拘らない人のよい作品は、品格だけをいただいて他は見なければよい。小坂先生はそうされた。慈雲の「暴れても上品」なところを根こそぎいただかれた、と思っている。先生は筆の根元を固めておられたが(慈雲は剛毛短鋒)、そういう用具の問題もあったと思う。
もう一つ、小坂先生が七十七歳で奈良に家を建て、引越しをされたとき、奈良を意識されてかしきりに「和雅」を作品に入れたいといっておられた。いくら中国の古典を習っても、やはり日本人は日本人、最後は日本に還るんだ、といって、そのころから「予定通り」羊毫との絶縁へと向かわれた、と見ている。六十歳ごろから、わしは晩年になったら兼毫も使うよ、といっておられたので予定の行動だったのである。

関西の漢字作家を見わたすに、いくら中国古典を習っても晩年「日本」に回帰した人は意外に多い。しかし繊細さを追究する人と、淡白さ豪快さなどを逐う人とがあるようで、いずれにせよ晩年は我儘な書風の確立を目指される人が多い。これはいいことなのである。それは身体の衰えなども加わってのことだろうが、出そうとしても出せない晩年の書家の魅力が込められているような気がする。
わざと技術を捨てるのではなく、書けなくなる書の魅力は中国の古典にははとんどない。寿命のことがあるのだろう。日本でも平安のかなにそんな作品はない。私も八十になってますます細楷はもちろん細字が書けなくなってきている。それもこれも自然。

慈雲を見ながらつい先生の晩年の書を想った。書家の晩年はじっと見れば見るほど興趣が湧くものである。地位の上下に関係なく、平等におもしろい。己の晩年の作品をどうするのか、したいのか。計り知れないおもしろさに満ちた書の世界にどっぷりはまり込んだ皆さんとともに、ゆっくり考えたい。

江口大象(書源2017年3月号より)

 
   

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